息子の初誕生祭を執り行った。
まず、健康に生まれ、何事もなくはじめての誕生日を迎えられたことに感謝したい。
同時に、今日この日を無事に迎えられたことは、息子を胎内に宿ってから今日まで、献身的に世話してくれた妻のおかげに他ならない。
妻にも心からの感謝の意を示したいと思う。
共に歩んだこの一年 妻の手を借り一升餅を背負ってヨチヨチ歩き
将来は商売人?選び取りでそろばんを手にする息子
息子が生まれてから今日まで、その世話の大半を妻が担い、私は娘の世話や、家事の手伝いをしフォローにまわることに終始した。
それは、生まれてから1歳になる頃までは、子供にとって母性が絶対的であるという認識を私の中で持っているからである。
母親の声や温もりは、息子にとっての安息の地であり、口や手はたどたどしく生きる為に胸元を探る。
男の私がどうあがいたところで、十月十日もの間、自分のお腹に宿し、血を分け、互いの命をかけて出産した母子の命の絆には敵わない。
2度の出産に立ち会い、まざまざと女性の強さと偉大さに感服してのことだ。
だからと言って、全ての母親がそうであるとは限らない。
それは、当たり前のように垂れ流される我が子に手をかける事件や虐待のニュースが物語っている。
こと、私自身においても母親に対して、言い知れぬ負の感情を抱きながら現在も生きている。
だが、生まれて来る子供はどうだろう?
大人の身勝手な事情などおかまいなしに、例外なく親の愛情を欲して生まれてくる。
そして、どんなに母親を憎もうと、母親の体内から生まれて来たという事実からは決して逃れることは出来ない。
私の感情も、裏を返せば40を過ぎた今でも少年だったあの時のまま、どこかで母からの愛情を求め、自分を認めて欲しいと願う、心からのシグナルであり、今だ理想の母親像という幻影から脱却できずにいる葛藤の表れなのかも知れない。
兎にも角にも、我が家には母親の愛情を一身に受け、安心というバリアに包まれ、表情豊かに毎日を過ごしている息子の姿がある。
今後、好奇心の芽生えと共に、いよいよ父親である私の出番も増すことだろう。
息子とは同性として、娘とは別の関係性を築き、想いを伝えていこうと思う。
最後に、もし成長したあなた達(子供)が、この記事を目にしたならば、これだけは覚えておいてほしいのです。
それは、あなた達の命のはじまりのこと。
あなた達は今、お母さんの小言をうるさく感じることもあるでしょう。
親の言うこと、為すことが、理不尽に感じ反抗することもあるでしょう。
決してお父さん・お母さんの言うことが、全て正しいとは限りません。
大人だって間違っていることはたくさんあります。
だから、その気持ちは大切にしてください。
そしてよく考え、自分なりの正義や理屈があるのならば、どうぞ思いの丈を臆することなくぶつけて来てください。
私は父親として、逃げるつもりはありません。正面から受けとめ、向き合うつもりです。
でもね・・・
あなた達が、お腹の中にいることを知った瞬間から、お母さんは、1人の女性から母となり、あなた達を立派に産んでくれました。
あなた達が、言葉を覚えるずっと前から語りかけ、夜中に起きてはオムツを替え、生きる為の母乳やミルクを与えてくれました。
体調を崩せば心配し過ぎなぐらいに、すぐさま病院に連れて行き看病してくれました。
そして日々の体調の変化や出来事を日記に綴り、あなた達の成長に悩み、楽しみ、喜びました。
小さな背中に背負った〝一升の餅〟よりも、はるかに重い母親の〝一生の気持ち〟に抱かれ、今のあなた達があるんだよ。